稽古流儀

大東流合気柔術

 大東流は、ある意味において日本武芸の世界でも伝説的な流派と云えるでしょう。ネットの普及により以前にも増して話題に上る事も多くなり、ある会派の先生を話題にした最強説や、大東流を名乗るある会派を取り上げた最弱説など枚挙に暇がありません。その理由として、大東流中興の祖とされている武田惣角先生が採っていた指導形態にあると考えられます。それは講習会方式の指導とは別に個人指導もかなりおこなっており、弟子の各々により伝授した技に違いがあったとされ、現在では大東流と言う名称は同じでも会派によって継承されている技に違いがあり、大東流は一つではないと云えるでしょう。虚空塾の大東流は、武田先生が晩年に体現した筋力の強弱や体格の大小に左右されない術理(理合)を追求し再現する稽古を行っています。

黒田藩傳
柳生新陰流兵法

普段の稽古では袋竹刀で形を行う

当道場は光武勢州先生代表の修猷館京都支部としての活動も行っております。黒田藩傳柳生新陰流は上泉伊勢守、後に柳生石舟斎にも師事した柳生家信(大野松右衛門)が黒田藩に伝え、現在の光武勢州先生に継承されています。黒田藩への伝承後、長い時を経て江戸や尾張とは趣を異にする流祖上泉が残した新陰流の術理が色濃く反映されています。相手の拍子や間合、意識をいつの間にかずらし勝を得てしまう知恵の豊富さは、他流とは一線を画す独自性を持つ流儀と云えるでしょう。

鹿島神傳
直心影流剣術

六尺八寸(約2m6cm)の鉄木製降り棒

幕末、幕府講武所の頭取と剣術師範を務めた男谷信友、天覧兜割の榊原鍵吉で知られる流儀。法定の形には他流では類を見ない独自の呼吸法が動きの中に細かく定められており、それを見た山岡鉄舟が「法定(丸橋)を行えば、禅は不要」と感嘆したと云われています。よく知られる降り棒鍛錬も、自分の筋力を基にした力ではなく、日本武芸特有の「筋力以外の別の何かを基とする力」を養成するための特別な鍛錬法と考えられています。